拡散現象を媒介するネットワークのプロファイリング~反応拡散過程の統計力学と統計的推論~(4)
今回は、感染症の流行を表す数学的なモデルを採りあげる。基本となるSIRモデルとSIRモデルを一般化した化学反応モデルについて述べる。
コンパートメント・モデル
病気の症状には、咳や微熱のような感染のシグナルが出ている時、発症し症状が一番重く苦しい時、病み上がりで調子がまだまだの時といったいろいろな状態がある。インフルエンザにかかって、一晩寝て起きたら気分爽快などということはない。だんだん症状が悪化し、峠を越えたらゆっくりと回復に向かうのである。しかし、こんな連続的な変化を精密に扱うのは難しい。発症したかどうか?この一点だけでモデルを組み立てよう。つまり、患者の感染の度合いをごく少数の離散的な状態で近似し、状態から状態への遷移で変化を表そう。
3つの状態を考える。これらは、まだ感染しておらず感染の危険がある状態(susceptible)、感染し発症した状態(infectious)、治癒し免疫によって感染の危険がなくなった状態(recovered)である。これがSIRモデルである。SIRモデルは単純で扱いやすく、その特徴的な振る舞いの多くを解析的に調べられる。科学的な現象の理解にも、保健衛生当局の現場でのツールにも広く使われている。特定の1人ではなく、多数の人の集団を統計的に扱う。集団全体をそれぞれの状態にいる人のサブ集団に分けて解析するモデルをコンパートメント・モデル(epidemiological compartmental model)と呼ぶ。集団の中での人と人との接触は、状態の遷移を引き起こす。非感染者が感染者と接触すると、単位時間に1人あたりαの割合で非感染者が感染する事象が起こる。感染者は(他者との接触なしで自発的に)、単位時間に1人あたりβの割合で治癒する事象が起こる。以下の式が、これらの状態から状態への遷移を表す。
αとβは、事象に係わる個人に依らない定数である。これは、集団がよく混ざった均一な媒体であり、個人を区別できないことを意味する。1人でとても多くの感染を引き起こす特殊な患者(super-spreader)を個別に扱うモデルではない。ここで、感染症の強さを示す再生率(basic reproductive ratio)をr0=α/βと定義する。感染は、1人の感染者と1人の非感染者だけに係わる事象である。1人の感染者が、同時に複数の非感染者を感染させることはない。感染と治癒が同時に起こって干渉することもない。これらは独立な事象である。充分短い時間スケールで考えると、これらの前提は妥当である。逆に、短い時間スケールであっても、過渡状態は考慮せず瞬時に起こる遷移とする。状態の変動は、直前の集団の状態だけに依存して変化するマルコフ過程となる。
定量的に感染の様子を見てみよう。新規に発生する感染者数⊿Jは、非感染者数Sに感染する確率⊿qを掛けた値である。単位時間に1人の人間が他者と接触する回数をa1、感染者との接触によって感染する確率をa2とする。感染者数をI、人口をNとする。⊿tの期間に感染者と接触する回数はa2×I/N×⊿tである。⊿qは、1からどの接触でも感染しない確率を引いた値となる。以下の式が、⊿Jを表す。
α=-a1 ln(1-a2)であることが分かる。治癒者数をRとすると、N=S+I+Rである。人口がとても大きい場合には、これらを実数値の連続変数として扱ってよい。⊿t→0の極限での以下の微分方程式が、時刻tでの新規感染者数J(t)の変動を表す。
人口に占める割合j=J/N、s=S/N、i=I/Nで表すと、ほぼ同じ以下の式となる。混乱しないよう注意したい。
治癒の事象では、以下の微分方程式が、時刻tでのR(t)の変動を表す。
感染と治癒の事象を組み合わせ、以下の微分方程式が、時刻tでのI(t)とS(t)の変動を表す。
SIRモデルをより現実に近づけるいくつかの拡張もある。まず、古くから、状態を増やしたより緻密なモデルが提示されている。多くの感染症には、潜伏期間(latent period)がある。潜伏期間とは、感染しているが発症していない状態(infected but not infectious)を指す。この状態(exposed)の間に、感染者が動き回って感染を広げることが多い。隔離治療状態(hospitalization)は、病気そのものが持つ状態ではないが、患者と他者との接触が制限され感染が広がりにくく、治癒が促進される状態を表す。この状態を組み込むと、感染の広がりをより精確に再現したり、予測したりできる。これらの状態を含めたものが、SEIHRモデルである。
次に、感染と治癒が時刻に依存して起こる拡張が試みられている。以前から、特に、一定の割合で治癒するモデルには欠陥があることが分かっている。一定の割合で治癒が起こると、感染している期間はポアソン分布に従うことになる。すると、とても長い期間、感染したままの患者が出てしまう。現実には、そんなことはなく、感染してから治癒するまでの時間が患者ごとに大きくばらつくことはない。感染した時刻を記憶し、それからの経過時間に依存して治癒するモデルがより現実的だ。遠い過去から直前の時刻までの経過時間に沿った積分を扱うことになり、マルコフ過程ではなくなる。さらに、人がいる場所に依存した変動を引き起こす不均一な媒体への拡張がある。代表的な例には、メタポピュレーション・ネットワーク(meta-population network)がある。次回詳しく採りあげる予定なので、ここではこれ以上述べない。
化学反応モデル
化学反応(chemical reaction)とは、物質を構成する原子の間の結合が切れたり、生まれたりして、異なる物質に変化する過程を指す。 気体分子や溶媒中の溶質分子が接触して起こる衝突によって、原子の結合が組み変わって状態が遷移する過程だと考えられる。例えば、天然ガスや化石燃料の燃焼で二酸化炭素が発生する化学反応は、以下の式で表せる。
唐突に化学反応の話題を出したのは、なぜか?実は、SIRモデルは、2種類の化学反応(感染と治癒)を通して3種類の分子(S、I、R)の間で状態が遷移する過程だと見なせる。SEIHRモデルでは、5種類の分子が関与する過程である。つまり、化学反応の特殊な例として、感染症の流行を表す数学的なモデルを組み立てられる。一般に、状態の変動を接触の頻度から解析できる特性を持つ系の理論を組み合せ速度論(combinatorial kinetics)と呼ぶ。以下の式は、多数の分子Xiが関与する化学反応の一般形である。Niは、1回の化学反応に係わる分子Xiの個数を表す係数である。
1回の化学反応で変動する分子Xiの数⊿Xiは、以下の式で与えられる。
単位時間あたり1回の化学反応が起こる確率T(t)は、系全体から選び出せる、化学反応に係わる分子の組み合わせの数に比例する。時刻tでの分子Xiの数Xi(t)からNi個を選ぶ組み合わせの数をすべての分子の種類について掛け合わせて、以下の式で与えられる。
すべての分子でNi=1の場合には、確率は分子の数の積に比例する。感染はこの場合に含まれ、確率はS(t)I(t)に比例する。確率T(t)と変動⊿Xiを用いて、系の変動を解析することができる。
次回は、今回採りあげたSIRモデルに空間の不均一性を組み込んだモデルを見てみよう。メタポピュレーション・ネットワークやメタポピュレーション・ネットワークを連続的な空間において一般化した反応拡散過程(reaction diffusion process)について述べたい。
Dr. Yoshiharu Maeno, Social Design Group.
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コメント
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投稿: HODGESDenise | 2011年12月30日 (金) 17時16分